2023/9/26

恒常性からの脱却   

慢性の病気を根本的に治すには、どうすればいいですか?これは、多くの慢性の病気の人が欲しい答えだとは思います。しかし、この答えを明確に答えられる医師は、ほぼ存在しません。そういう私も明確には答えられません。ただ、自己免疫疾患、癌などの難病を克服して、薬が必要なくなるレベル、いわゆる完全回復までに治った人はいますし、そういう人がどう治療されたのかに根本的な治療法のヒントが隠されていると考えられます。
 
治った人、治らなかった人に関係なく、誰にも、健康的に生きたいという欲求があります。それでは治った人と治らなかった人とはなにが違ったのか?人は、それぞれ、異なった生活習慣、食事、運動、人間関係の取り方、ストレスへの対応、考え方、価値観、信念、観念、環境、性格を持っています。これらのものには、病気の治癒に有益なものや有害なものが混在していて、その内容も人それぞれに異なります。
 
治った人は、有害なものにうまく対応して、有益なものにを増やす方向に自分を創り変えています。一方で、治らなかった人は、自分を創り変えることよりも、有害なものを排除することに注力します。自分は、有害なものを排除することで、問題解決しているのですが、自分を変化させずに有害なものを排除することで問題解決をはかるので、解決方法自体に、限界があり、問題解決がなかなかすすみません。
 
また、病気の人は健康になりたい自分と、健康になりたい自分を引き戻す自分とが、綱引きしている、安定した状態を自己イメージとして無意識に持っています。その自己イメージがあるので、変わりたいけど変わりにくいと感じています。変化するというのはとても、生体にとってはリスクのあることであり、変化しないこと、すなわち恒常性(ホメオターシス)を維持することは生体にとって安定をもたらします。変化は、健康な人ほど受け入れやすく、病気の人ほど、受け入れにくいものです。変化には、良くなる可能性と悪くなる可能性の両方があります。健康な人ほど、良くなる可能性を信じて変化を楽しめます。一方、病気の人に、そんな余裕はありません。自分は変化したくないが、健康にはなりたい、だから周りを変えようとする、すなわち依存的な選択をし続けてしまう、これが病気の人が変われない理由です。病気の人ほど、依存的な人というのもこういう背景があります。依存的な自分を変えない限りは、治らないといえます。
 
頭では健康になりたいと思っていても、心がついていかない、なぜか怖ろしい、自分らしくない、これも病気の人にみられる、典型的な怖れです。こういう人は、怖れを解消するために、健康になるための知識、例えば、こうしたら痩せるとか、楽になるとか、病気が治るとかといった知識を一所懸命つけようとします。果たしてなにが変わるでしょうか?残念ながら、一時的には、増えた知識をもとに健康になれるかもしれませんが、悪い方向に恒常性が働き、改善は長続きしません。やり続けたらよくなる?意外にそれができる人はほとんどいません。頭(=知識をつけて健康になりたい)、心(=変化が怖い)として、頭と心がせめぎ合い、葛藤した時、人は安全な方、怖れに従います。「知識を付けることで病気が治る」「本を読んだから病気が治る」ということはほとんど起こりりえないのはこういう理由があります。可能性は0ではありませんが、怖れを自分で超えられる人は慢性の病気を克服していることが多いため、限りなく0です。
 
では、知識を得ずに、この恒常性からどう脱却して、病気を改善させる力を得るのか?いくつかお勧めしたいことがあります。一つは、知識を得ることをやめましょう。全く病気の知識がないという状況でなければ、慢性の病気を持っている方は、治療法に関してある程度ネットで検索して知識を得ているはずです。脱却するために必要なことは知識ではなく、「怖れ亅「依存」の克服です。そこから目を背けたいが為に、知識を蓄積すること、なにか自分がまだ知らない、特別な治療があったらいいなと思ってネットサーフィンし続けることから手を引くことです。
 
次に、今まで怖れで避けてきたことをする、多くは「普段と逆の行動、違った行動をとる」ことになりますが、怖れでこれまでに避けてきた、健康に向かう行動を実行することが大切です。普段恥ずかしくて言いたいことをため込んで腹痛になるという例であれば、まずは、どんどん発言すること、違和感や怖れだらけでもとにかくやりきることです。悲しめない、涙を流せない、喘息の人はまずは涙がでるまで涙活をする、人に会うのが怖くて引きこもっている人は、少しでも人に会うなど。今まで選択してこなかった行動の最初の1歩を踏むと、ゆっくりですが、今までに体験したこともない体験から、新しい感情や新しい考え方が生まれます。この最初の一歩を踏む時に、とてつもない、大きな葛藤が生じますので、おそらく1人ではできないと思います。仮に1人でできたとしても、行動の変化は小さすぎて、感情や考え方に変化が起きにくいと思います。「普段と逆の行動、違った行動をとる」を繰り返していると、いつしか、症状や病気の改善という観点から新しい行動が有益なのか?を振り返ることができるようになってきます。そして、複数の新しい行動パターン、感情や観念や思考が手に入れば、健康に向かうベストな選択を考えることが試行錯誤しながらできるようになります。
 
試行錯誤の中で、当然うまくいくこともいかないことも増えてきます。うまくいなかったことには、自分の課題に「直面」することが増えます。直面というのは、うまくいかない自分の課題と向き合い、どうしたら、うまくいくかを考えることです。「直面」が起き、直面を受け入れた場合は、できない自分を受け入れ、こうなりたいという自分が出てきます。この時に、「病気から健康に向かう大きなエネルギー」が発生します。この病気を治す最強のエネルギーで、「恒常性からの脱却する」時に病気は健康に向かいます。直面は治癒の最大のきっかけなのです。
 
実は、ある程度のストレス耐性がある状態でないと、課題に直面しても、すぐに「逃避」行動がおき、直面が起こりません。病気の場合は、ストレス耐性が低下して、なおさら、逃避しやすい状態なので、直面が起きにくくなります。よく、「僕は大丈夫です」「今のままで十分です。」「変わらないでいいと確信しました!」という方を見かけますが、これは直面が極めて起きにくい、最強の逃避パターンをお持ちの方です。病気のままで大丈夫です、病気のままでいいと確信しましたといっているのに等しいと思います。
 
従って、直面から逃避する人、自分の非を認めない人は、無意識に直面から逃避するために、病気から回復するチャンスを永久に失い続けます。また、こういう人は無自覚ですが、不感症のかたが多く、多くの病気の発見が遅れて、手遅れになりやすい傾向があります。
 
多くの人は、「直面」することを怖れて、直面につながる「普段と違った行動」をとることを日常生活で選択することはまずありません。病気の人は、健康になるということが頭でわかっていても、直面を避け、安全圏で生きようとします。安全圏に生きていれば直面が起きないからです。先日の講演会で、「直面が怖くて、前に向けない場合にはどうしたらいいですか?」という質問がありました。私の回答は、「その場合は自分だけでは対応できません。誰かが、愛を持って病気の人かあなたに関わることで直面する勇気が生まれ、直面が起きるかもしれませんね。尤も、あなたが誰かの愛を受け取れる人であることが前提です。それでも直面が起きない場合、あなたに直面が起きるまで誰かが愛を持って関わられたら、それが理想ですが、それができる方は近くにいるかもしれませんし、いないかもしれません。病気になった時に、あなたにできることは、病気を治すというゴールを明確に持ち、その上で、人の愛を少しでも受け取るように努めるということかなと思います」 
人の愛を感じられれば、自分だけではない、自分には応援してくれる味方がいると思えて、健康に向かおうという気持ちが加速します。もちろん、その大前提には、病気を治すというゴールを「明確に」持つ必要がありますが、自分の目標達成を周りの人が協力したい、手を差し伸べたいと思ってもらえる、そういうあり方で病気と向き合えたらいいですね。 
最後に「人の愛を感じられない自分はどうしたらいいですか」と質問された方がおられました。「本当に人の愛を感じていないなら、どうやって、あなたは今の年齢まで生きてこられたのですか?」と返答したのですが、人の愛を感じられないというのは、その人に愛が枯渇している、もっと愛してくださいという心の現れでもあります。そういう方が、人の愛を感じられるようになるくらいに、無尽蔵の愛を届けられたらベストですが、「医療もビジネス」ですから、なかなか大変ですね。せめて、私が人と会っている時には、愛の価値観で接する、そんな医療をこれからも提供できればと思います。